後輩が自殺した。
バイト中、久しく連絡を取り合っていなかった高校時代の友人から着信が。
休憩をもらってかけ直すと、聞こえてきたのは最悪の報せだった。
火葬、葬儀の日程や、僕たちの年度の誰が出席するだとか、後輩は思い詰める性格だったとか、断片的にしか認識できない情報を告げる友人の声は震えていて、呼び捨てだったはずの後輩の名前が君付けされていることに妙な現実感を覚えた。
電話を切り、すぐに仕事に戻れる気がしなかった僕は煙草に火をつけた。
弱々しい輝きと引き換えに短くなっていく煙草を見ていて浮かんできたのはこの言葉だった。

ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから、「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。
  -中島らも僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)より

驚きより悲しみより、悔しさと遣る瀬無さが胸を去来する。
十代で自らの命を絶つなんて、卑怯すぎる。
彼のぶんまで生きようなどとは思わない。
ただ、生きて、その苦しさと虚しさと少しの喜びを、あの世で会った時に説教してやる。
だからそれまで待ってろ。