五時

ちょっと、お宅では一体どういう教育をしてらっしゃるんですか?いやね、私としてもよそ様の子育てに口を出すなんてことはしたくないんですよ。でもね、ものには限度ってものがあるんですよ。何なんですか?一昨日の夜だってありましたよね?練習だかなんだか知りませんけどね、夜の一時ですよ、一時。こっちは朝五時に起きなきゃいけないんですよ。夜中にあんなにドタバタやられたんじゃろくに眠れませんよ。通勤に二時間かかるんですから。好きでこんなところにすんでるわけじゃないんだよ。私だって職場のすぐそばに住んで朝ゆっくり起きて、めざましテレビを最後の占いまで見てから出勤したいですよ。けどね、そんな生活ができないからこうして涙を飲んでこんなオンボロマンションに住んでるんですよ。上の息子は大学中退してアレですよ、何て言ったかな、あの、え?違う違う、家から出ないなんて事はないんですよ、むしろ週に一度帰ってくるかどうかってもんですよ。うん、そうそう、ニートですよ。それそれ。まったく定職にも就かず何考えてんだか。そこへもってきて下の娘は浪人するしね。何だって地元の大学を受けさせるために東京の予備校へ入れなきゃならないんだ。寮はイヤ、一人暮らしがいい、なんて我侭言いやがって。何だ?お母さんは黙ってなさい。ん?あ、ああ。ゴホン。話がわき道に逸れましたな。まあとにかく、こっちとしては静かに暮らしたいんですよ。何もまったく音を立てるなって言ってるんじゃないんですよ。お互い気持ちよく生活するために少しだけ努力していただけないかってお願いしてるわけですよ。は?管理人の許可は取ってある?そんなこと知りませんよ。私には平穏に日々を送る権利があるんですから。なに?体操のオリンピック候補?お宅のお子さんが?ほう。それは確かに素晴らしいことですよ。しかしそれとこれとは別ですよ。オリンピックに出ようがノーベル賞を取ろうが、日常生活の最低限のルールは守ってもらわなくちゃあ困るんですよ。大体なんですか、先週だったかな、お宅の息子さんと一緒になったんですよ、エレベーターでね。七階で止まったときにね、山原さんのおばあちゃんが降りようとしたんですよ。ご存知でしょうけどあのおばあちゃんは足腰が悪いんですよ。当然パネルの近くにいる人間が「開く」のボタンを押してあげるべきでしょ。それを何ですか、あんたんとこの息子は。メールだか知らないが携帯電話をいじるのに夢中で視線を上げもしないで。かわいそうに、おばあちゃんドアに挟まれそうになったんだよ。挙げ句になんだ、私がそのことを注意したら、なんて言ったと思う?うるせえんだよ、ハゲ。うるせえんだよハゲってぬかしやがったんだぞ。わが耳を疑ったよ、俺は。勉強ができたって推薦でいい大学入ったって、オリンピック出たって、そういう人間として最低限のルールがわからないやつは社会人として失格だよ。おい。聞いてんのか?なんだ、その態度は?親がそんなだからあんなろくでもないガキが育つんだよ。コラ、待てよ、話は終わってないんだよ。待てって言ってん、うわっ何だこれは。アヒルか?いや、違うな三輪車か。なんで非常階段の踊り場にアヒル型の三輪車があるんだよ、ったく。あ、おい、待てよ。待てって。あの野郎、シカトしやがって、イテッ、今度は何だ?掃除機なんか家の中に置いとけよ、ホースが邪魔で進めないじゃねえか。クソッ、見失っちまった!誰だよ、ここは物置じゃねえんだよ。どいつもこいつも非常識なやつらだな、ったく。アチッ、今度は何だ?あ?花火でもやってんのか、っておい!そうだ、火事だよ火事。早く逃げなきゃやべえよ。あれ?出口はどっちだ?うわ!ズボンに火が!おい、誰か!

某マンションのエレベーターに、「地震や火災発生時に非難の妨げになりますので、廊下や非常階段に物を置かないでください」という掲示があった。これは上記のような事態を危惧しての注意であり、決して避難を非難と間違ったのではないのである。