とあるCM。


若い男の静止画像。画面中央にテロップ「カレシ」
画面切り替わり、若い女。テロップ「カレシの元カノ」
さっきとは別の男が現れる。「カレシの元カノの元カレ」
また違う女。「カレシの元カノの元カレの元カノ」・・・
登場する人数が増えるほどテロップは長くなり、字は小さくなっていく。
そして「みんな繋がっている」みたいなコピー(肝心なところがおぼろげだorz)。


AC(公共広告機構)によるエイズ予防のCMである。


強烈なインパクトを受けた。理由はふたつ。
ひとつはエイズが決して他人事ではないこと。
僕が既にに感染している可能性もゼロではないわけである。
その上えらそうに献血なんぞに行ったりもする。
薬害エイズの話じゃないけど、そこに感染経路が派生する怖れもないとは言い切れない。


もうひとつは「繋がっている」という感覚だ。
CMではカレシ→元カノ→元カレという一元的な流れを追っていたが、このそれぞれの「元カレ・元カノ」には「今カノ・今カレ」がいて、そこからまた「元カレ・元カノ」の鎖が延びているのである。
ナントカ兄弟なんていう俗語もあるが、それどころの話ではない。
おそらくこの鎖を追っていけば日本地図を覆ってしまうのではないだろうか。
いや、日本だけでは収まりきらないかもしれない。
と、ここまで考えて以前にも同じような感覚を味わったことを思い出した。
これは誰しも一度は想像したことがあるかもしれないが、「おじいちゃんのおじいちゃんのおばあちゃんの・・・」と祖先を遡っていくやつである。
歴史上の人物なんかだと家系図になっていたりする。
たいていの人には一組の両親がいて、二組の祖父母がいて(うちは祖父の前妻、という人がいたそうだが)、四組の曽祖父母がいて・・といった具合に「血の繋がった人たち」はアメーバの細胞分裂みたいに増えていく。
「人は一人では生きていけません」とか「かけがえのない命を大切に」とかいうことが言いたいのではない。
確か中島らも氏の本で読んだのだと思うが、「人は島みたいなものだ」という言葉を思い出したのだ。
上から眺めると、島と島は大量の水によって隔てられているが、潜って見れば下では地続きになっているのである。
元カノ云々の件は共時的な見方で、祖先の話はこれを通時的に捕らえたものではないだろうか。
また二元的に考えると、元カノのお母さんの元カレのおじいちゃんの娘の元カレの・・・という具合に鎖と鎖が絡まってとんでもないことになってしまう。
何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたが、この「鎖の一片」という考え方って結構面白いと思う。