鳥と睡魔

バイト上がりの昼下がり、見上げれば台風一過の青い空。まっすぐ帰るのも勿体無いってんで近所の公園で暫しの道草。
風は強いけれども、辺りは親子連れやら犬を連れたおばちゃんやら、のほほんとした雰囲気が漂っている。
ベンチに寝そべり、おやつを食べつつ文庫本を開くとどこからともなく鳩や雀が寄ってきた。
そこでふとした疑問が浮かぶ。こいつら、鶏肉も喰うのだろうか。ってフライドチキンをちぎっては投げ。
あ、やっぱ喰うのね。考えなくてもわかりそうなもんだわな。
ぼーっと見てると鳥たちの暗黙のルールがわかってきた。
基本的には早い者勝ちで、他の鳥の所有物、つまりくわえているものを奪うことはしない。
ただし、鳩や雀の嘴には大きすぎる場合、奴らは落ちている食料をつつくことになり、この時は所有権は発生しないようだ。
雀の近くに放ってやると二口も啄まないうちに鳩に横取りされ、その鳩もくわえることがままならないため
数羽で囲んで餌をつつき始める。そうこうしているうちに鴉が飛んできてフライドチキンの断片を持ち去ってしまった。
嗚呼哀しきヒエラルキー。まあこうやって街に棲む鳥たちは共存しているのだなあと感心したり。ひまじんだん。


んで、何を読んだかと言えば大槻ケンヂ著「オーケンの散歩マン旅マン」。
いわゆる旅行本と違うのは、「あ、ここ行ってみたい」ではなく「この人いーなー」と思えてくる点か。
旅の話だろうが、プロレスの話だろうが、映画の話だろうが、大槻ケンヂというフィルターを通せば忽ち
のほほんに当てられて引き込まれてしまう。
「のほほん日記」でもそうだったが、凝った表現技法など使わなくても人の心を掴むことはできるのだと
改めて思い知らされた。「のほほん〜」の旧友が遊びに来て桃の缶詰めを置いていく話や、「散歩マン〜」での
池田貴族氏のお見舞いに行くくだりなどの独特の「間」は彼にしか書けないだろう。
なんて分析するのは野暮ってもんだあな。オーケンの散歩マン旅マン (新潮文庫)