猫に念仏

夜明け前の路上で猫が横たわっている。
街灯の光も届かずはっきりとは見えないがどうやら三毛猫のようだ。四肢を投げ出しており動く様子はない。即刻原付を停めて生死を確認し然るべき処置を取らねばならぬところである。
しかし。そもそもこの時間帯に猫が人間の目につく場所にいるのは珍しいこととは言えず、寧ろ昼間は日なたで丸くなり寝てばかりいる上に夜は夜で無為に過ごすのであれば存在の意義など無きに等しいと言っても過言ではなく、これだから猫は気楽で良いよ、ったく何考えてんだか、きゃあ可愛い私も猫になりたいなどの人間の放言も強ち的外れではないことになるのであり、猫としてもそれは本意であろうはずもなく、人の目の及ばぬところでは必死に生きているのにと臍を噛む思いで夜も眠れず昼寝ているのであろう。或いは猫の間では人間への優越感を確固たるものとして保つべくあのような人を喰った態度を取ることが不文律として存在しているのかもしれない。斯くの如く自尊心の高い彼奴らのことだから多少の怪我で人畜生の手を借りるなど言語道断、舌を噛み切り死んだ方がどれだけ増しかと思って居るに相違なく、穿った見方をすれば実は怪我などしておらずただ寝転がっているだけなのに何をあたふたしていやがる、器の小せえ奴らだてやんでえ、と侮蔑の眼差しを向けてくることも大いにあり得る話である。また百歩譲って既に息絶えていたとしてもどう弔うのが適切かは遺言でもなければ到底知りようもなく、例えば地中で腐っていくならこの体なんぞ鴉にくれてやるという信念を持っていた猫を埋葬するなど野暮にも程がある。熟考を重ねここは下手に手を出さぬのが最善であろう、との結論に達し断腸の思いでその場を去った。
というのは嘘で三十分寝坊し余裕を失っていたためそのまま一路バイト先へ急いだ。
数時間後、滞りなく勤務を終え家路を辿っているとまた猫。こちらは明らかに轢死体である。倒れている姿勢こそ先刻の猫と似通っているものの、毛も黒と灰の混じった色だし第一、距離にして少なくとも百メートルは離れている。が、再び三毛猫が倒れていた地点に戻ってみると屍体どころか血痕の一つもないのである。やはり単に寝転がっていただけなのか、車に撥ねられ気絶した後で目を覚ましたのか、或いは死んだ猫が幽体離脱でもしていたのか、わからん。合掌。